放哉さん、反面教師をありがとう!
2026年 04月 06日
私、アルコール飲料をほぼ毎晩飲んでいるのですが、
飽くまで料理の友として飲むので、量はそう多くない。
ただ料理と酒の相性があまりにいいと、ほろ酔いを越えて酔うことがある。
このところ夕食後にすぐにすることは決まっています。
まずは自分のブログを更新する。
夕方にそれまで起こっためぼしいことを書いておくことが多いので、
短時間でアップに至ります。
そのあとは、愛読ブログを順番に拝読。
先日それをやっていて、ふと我に返り、気づきました。
なんだか結構コメントを書き込んでいるな、と。
驚いたことに、私は酒をいつもより多めに飲んだあとは、
コメントをしたい気持ちが高まるようなのです。
別段悪いこととは言えないでしょうが、気をつけないととは思いました。
勢いづいてヘンなことを書き込まないとも限らないから。
これまでだって、自分が知らないだけで、やってしまっているかもしれない。
ちょっと怖くなりました。
飽くまで自分が記憶する限りでは、ということになりますが、
私は酒の席で酔って機嫌が悪くなったことは一度もなく、
暴言を吐いたり暴力に及んだりしたこともありません。
ただ口が軽くなる。
暴言の記憶はなくても失言の記憶は少なからずあるのです。
自分にとっては軽口に過ぎなくても、
受け取る方にとっては暴言にならないとも限らない。
最近は外で誰かと飲むことはあまりないが、気をつけるに越したことはない。
ブロ友さんへのコメントも酔っているときは気をつけないと。
そう思いました。
今さら何でまたそんなことを思ったのか。
振り返ってみて気づきました、
小説『海も暮れきる』(吉村昭、講談社文庫)を読んだからだろう、と。
酒が入ったときの放哉、実に情けなかったですから。
その一例を引きます。
放哉、丸亀に住む俳句仲間の内藤寸栗子の家を前触れなしに訪れます。
寸栗子は、放哉を歓待すべく急遽仲間を集めて句会を催してくれたのですが――
会が終ってから、席に酒食がはこばれ、にぎやかな宴になった。
放哉は杯をかさねた。酔いが急速にまわり、かれは、同席の者に
刺すような言葉を浴びせはじめ、句を酷評し、やがて手当たり
次第に罵倒するようになった。
席は白け返って、 人々は顔を青ざめさせ、 しばらくすると
堪えきれぬように席を立つ者がつづいた。 放哉は、 かれらに
蔑みにみちた言葉を投げかけた。(45~46頁)
その夜その家に泊り、翌日小豆島に向かうべく船に乗る。
その船の上で放哉は――
放哉は、深い後悔の念におそわれ、船に乗ってから何度も
呻き声をあげた。
(中略)
昨夜自分の吐いた暴言が思い出され、放哉は居たたまれぬ
気持になっていた。 なぜ懲りもせず失策をくり返すのか、
酒の魅力に打ちかつことができぬのか、 と、 かれは自らを
激しく責めた。(46頁)
反面教師って、何につけても有難いもの。そう思います。
放哉さん、ありがとう!
なお、放哉については、そのうちまた何か書くつもりです。
これまでずいぶんと悪く書いてきた気がするのですが、
このところ関係書を読んだり考えたりするうちに、
「嫌な人だけど句はいい」と思うようになってきました。
その気持ちの変化を含めて、整理してみたいと思っています。
ただ、少し時間はかかりそうです。
私の読んだかぎりでは、酔余の方言らしきものはありませんよ。
私は毎晩3合、いささか、、ですね、でもやめられません。
私は毎晩3合、いささか、、ですね、でもやめられません。
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何度も読んでいる本なんです。で、つい、仲間を見つけたような気持ちになって…。すみません。
作家と、主人公の魂が近く、遠く、響き合うことにも惹かれます。そして、映像がくっきりと見える描かれ方。いつも心の隅にある作品です。
作家と、主人公の魂が近く、遠く、響き合うことにも惹かれます。そして、映像がくっきりと見える描かれ方。いつも心の隅にある作品です。
tsunojirushiさん、コメントをありがとうございます。
仲間と見なしていただき、嬉しいです。
興味をひかれ、tsunojirushiさんのブログの検索欄に「放哉」と入れて出てきた
2018年7月27日及び8月1日の記事を拝読させていただきました。
実は私、放哉も自由律俳句も知らぬまま、
吉村昭さんの小説だからということだけで『海も暮れきる』を読みました。
読後感は、tsunojirushiさんのそれとは違って微妙で、
小説としては面白かったものの、放哉及びその句には魅力を感じませんでした。
でも、なぜか無性に自由律俳句なるものを自分でもつくりたくなりました。
そして今、それをつくることにハマっています。
と言うか、ついつい頭に浮かんでしまいます。
ということは、無自覚だったが放哉に惹かれているのか、とも思います。
何しろ今、句集や関連本を図書館で借りて読み進めていますので……。
放哉、少なくともその句に対する印象が自分の中で変わりつつあるのを感じております。
なんとも面白い経験です。
仲間と見なしていただき、嬉しいです。
興味をひかれ、tsunojirushiさんのブログの検索欄に「放哉」と入れて出てきた
2018年7月27日及び8月1日の記事を拝読させていただきました。
実は私、放哉も自由律俳句も知らぬまま、
吉村昭さんの小説だからということだけで『海も暮れきる』を読みました。
読後感は、tsunojirushiさんのそれとは違って微妙で、
小説としては面白かったものの、放哉及びその句には魅力を感じませんでした。
でも、なぜか無性に自由律俳句なるものを自分でもつくりたくなりました。
そして今、それをつくることにハマっています。
と言うか、ついつい頭に浮かんでしまいます。
ということは、無自覚だったが放哉に惹かれているのか、とも思います。
何しろ今、句集や関連本を図書館で借りて読み進めていますので……。
放哉、少なくともその句に対する印象が自分の中で変わりつつあるのを感じております。
なんとも面白い経験です。
by chronoir2023
| 2026-04-06 20:24
| 読書
|
Comments(4)








