9月1日という辛い日
2025年 09月 01日
今日は昨日決めたとおり、久々にずっと家の中で過ごしました。
このところ身が入らずに困っていたギターがしばらくぶりに気持ちよく弾けたし、
先週の半ばに手持ちの仕事が終わった後そのままにしていた仕事部屋の整理整頓もやっとできました。
きれいに片付いた仕事部屋の机に向かってしばしぼーっとしていると、
机の右横の小スピーカーの上に置いているカレンダーが目に入り、
今日が9月1日であったことを思い出しました。
子どもの頃、9月1日という日は私にとって最悪の日でした。
学校が嫌いだったからです。
朝、ネットのニュースで「18歳以下の自殺は夏休み明け『9月1日』が最多」という見出しを見ました。
中身を読む気にはなれませんでした。
子どもの頃の私、8月31日の夜か9月1日の朝、自殺を考えたことが何回かあります。
いじめられていたとかではないのです。学校生活には愉快なことも結構あった。
でも、学校があり、そこに通うことの意味が分からなかった。
意味があると思えないから、ほんの僅かのちょっとした苦痛が耐えがたい苦痛に感じられた。
意味があると思えない自分の人生において、さらに無意味としか思えないことを強いられる。
二重の無意味に押しつぶされそうでした。
ですから、教員の給料が出る登校日一日を除いて数十日も行かずにすんだそこに
再び行き始めるにはかなりのエネルギーを要しました。
ただし、自殺はそれよりももっと大きなエネルギーを要求しました。
ゆえに私は生き続け、なんと大学まで行き、会社員になりました。
そして、私の気分は一変。
入った会社でする仕事が世の中にとっていくらかは有意義と思えたこともさることながら、
働くことによって報酬が得られ、自分はそれによって生活ができるということが肝だった。
仕事についてくる嫌なことも面倒なことも、学校時代の嫌さに比べれば些細なこと。
稼ぎを得ることは自分が生きていく上で必要なことであり、意義のあることでしたから。
この歳になって自分の子ども時代を思い出すと、何とも不思議な感じがします。
そして、今曲がりなりにもこうやって普通の範囲に入る生活ができているのは、
結果論であれ何であれ、学校のおかげでもあるのだと思わないでもないのです。
人それぞれ、9月1日に自殺したくなる子どもがいたとして、
そうしたくなる理由は私と同じでないでしょう。
私のは恵まれたガキのわがままのようなもの、そう言われたら頷くしかありません。
ただ、事情はどうあれ、とりえずは大人になるまで、
大人になっていくらかの自由を手に入れるまでは、
耐えきって欲しい、そう思ってしまいます。
おお~、ギターの練習頑張ってますね~
YouTubeアップ、楽しみにしてるのですよ~
medaka
YouTubeアップ、楽しみにしてるのですよ~
medaka
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medakaさん、コメントをありがとうございます。
録画してみる度に新たなアラが見つかり、なかなか思うようにいきません。
何とか年内に「ラグリマ」か何か一曲ぐらいはアップしたいと思っているのですが、
危うい感じが否めません……。
録画してみる度に新たなアラが見つかり、なかなか思うようにいきません。
何とか年内に「ラグリマ」か何か一曲ぐらいはアップしたいと思っているのですが、
危うい感じが否めません……。
by chronoir2023
| 2025-09-01 22:43
| 健康問題
|
Comments(2)







