刑法105条とソクラテス/プラトン


3日前に『論語』に関連して刑法105条のことをここに書いたあと、
思い出せそうで思い出せない何かが頭に引っかかっていました。
今日になってそれが何なのかがわかりました。
プラトンの『エウテュプロン』絡みのことでした。
同作はソクラテスとエウテュプロンという
ソクラテスよりかなり若い男との問答でできています。

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ディオゲネス・ラエルティオス(以下DLと略記)の『ギリシア哲学者列伝』にこうあります。

 またエウテュプロンが父親を外国人殺害の罪で訴えたとき、
 〔ソクラテスは〕この者と敬虔について問答を交わして、
 それを思いとどまらせたのである。
 (加来彰俊訳、岩波文庫、1984年、上巻、140~141頁)

これによると、罪を犯した父を息子が訴えることにソクラテスは反対したようにとれます。
つまりは、ソクラテスは<子は父の罪を公にすべきではない>と考える人だったようにとれます。
DLはプラトンの『エウテュプロン』を読んで、そのように解釈したのでしょう。
私はDLのその解釈を誤読によるものと断定します。
なお、DLの解釈が正しければ、ソクラテスは
日本の現行刑法105条の考え方に賛同するであろう人物ということになります。

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DLは三世紀前半の人と言われています。
ソクラテスやプラトンの何世紀も後の人です。
この件に関してDLに『エウテュプロン』以外の情報源があったとは思えません。
同作を読めばすぐに分りますが、訴えを取り下げる旨の発言を
エウチュプロンは全くしていません。

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父を訴えることの正しさを語る自分に同調してくれることなく、
しつこく問いを発し続けるソクラテスに業を煮やし、
その場しのぎの理由を口にして逃げただけです。

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私にはそのようにしか読めません。

DLの解釈が当時において一般的だったかどうか私には分りません。
ただ、さもありなんとは思います。
ともすると固定的なものを求める傾向を私自身の中にも認めるからです。

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面白いことに、同じくプラトンの『ゴルギアス』を見ると、
プラトンはソクラテスにこうも言わせています。

 身内の者でも、またその他友人たちの中で、それぞれの場合に
 不正を行なう者があれば、その者をも告発すべきであり、そして
 その非行を包みかくさずに、 白日の下に持ち出すべきであるが、
  これは裁きを受けて健全な者となるためである。
  (加来彰俊訳、岩波文庫、1967年、上巻、111頁)

DLは『ゴルギアス』は読まなかったのでしょうか。
その可能性はありますが、読んだのだとしても、
見なかったことにしたのでしょう。

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『エウテュプロン』絡みのこのことを考えていくと、
いわゆる弁証法が一般人あるいは私の生活において意義をもちうるとして
それは<正⇒反⇒合>のような図式で示されるのとは別のものである場合だけだと
一瞬であれ実感されます。

問題は一瞬しか実感されないこと。
私の中の固定的なものを求める傾向が一瞬を超えて実感することを妨げるからです。
困ったことですが、何ともしようがありません……。

図らずも『論語』本で刑法105条のことを知り、そのことから、
このところすっかり忘れていた面倒なことを思い出してしまいました。
お目汚しで恐縮ですが、自分自身に言い聞かせるために、
言い聞かせをした痕跡を残すために、この場を利用しました。


Commented by saheizi-inokori at 2025-06-27 21:31
私の中の固定的なものを求める傾向が一瞬を超えて実感することを妨げるからです
ここがちよつとわかりません。
Commented by chronoir2023 at 2025-06-28 11:00
佐平次さん、コメントをありがとうございます。

こんな中途半端なことを書いてアップしてよいものか躊躇しつつ、えいやーっとアップしたもので、
コメントをいただき格別に嬉しく存じます。

固定的なものにとらわれず、常に柔軟に思考するには相当なエネルギーが必要です。
思考の回路を全開状態に保つ必要があるのですから、どうしてもそうなります。
しかし、私にはその状態を保つに足るエネルギーがありません。
ですから、思考の努力をすぐに中断し、固定的なものに縋ってしまいます。
意識的にそうするのではありません。すぐに気が緩んでそうなってしまうのです。
そして、そういう成行き自体を実感するのもまた、ときたまの一瞬にすぎません。
例えばエウテュプロンやDLの言葉を目にして、
両者が固定的なものを好んでいることに気づくことはできても、
その気づきが私自身において効力を持つのは短い間にすぎず、
須臾の後には実感が失われ、私自身が批判対象と変わらぬ状態に陥ります。
いや、あるいは、そういう状態に戻ってしまいます。

固定的なものを好む傾向、本能的と私には思われるその傾向に逆らいながら物事を考えること、
少なくともそのように考えようとすること、それができるとしてもほんの短い間だけ。
その惨状を言いたかったのです。

やはりうまく言えず、なおかつ愚痴にしかなっておらず、申し訳なく存じます。
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by chronoir2023 | 2025-06-27 20:40 | 読書 | Comments(2)

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