パスカル先生、そんなこと言わなくても……。
2025年 03月 03日
先だってパスカルの『パンセ』の中の一文を引きました。
その本の頁を開くのは久しぶりでした。
ひと頃愛読していた本ですが、もうずいぶん長く開いておらず、
いろいろな意味で気になってきて、
かつて自分が線やメモが書き込まれている箇所だけ
拾い読みしてみました。
https://shop-kyobunkwan.com/4764221268.html
なぜ書込みをしたのかよく分らぬ箇所もあれば、
ひどく納得する箇所もあり、それぞれに興味深く感じました。
次の一文は、かつて読んだときは、素直に納得したものでした。
傲慢ー好奇心なんて、虚栄にすぎない。 たいていの場合、
人が知りたいと思うのは、それについて語るためにすぎない。
そうでなければ、航海などしないであろう。 それについて
なにも語るのではなく、ただ見るだけの楽しみで、 それを
(『パスカル著作集Ⅵ パンセⅠ』田辺保訳、教文館、1981年、124頁)
当時は今よりも、「名著」に書いてあることを真に受けることが多かった。
真に受けるからこそ身の程知らずに対抗意識も強かったのですが、
この一文は、『論語』中の言葉「古の学者は己れの為にし今の学者は人の為にす」を思い出させ、
それと合わさって、私の胸に響きました。
いや、胸にこたえたというべきかも知れません。
全ての行為はただそのこと自体をただ自分自身の満足のためにすべき、
そう強く思うようになりました。
よーっし、パスカル先生にも孔丘先生にも文句を言わせない生き方をするぞ、
というわけです。
なんともまあ、大それたことを……!
当然、そんなことが実践できるはずもなく、
ただの名目上の努力目標になっただけでしたが、
目標としては結構長い間頭に残っていました。
実のところ、先日『パンセ』のその箇所を久々に目にして、
そういうことを思い出して、少し驚いたのです。
そんな目標のことなどとっくに忘れていたのですから。
当然です、そんな目標が生きていたら、ブロガーなんてやれません。
今あらためてその箇所を読むと、
頭に「傲慢(orgueil)」とありますから、
「La curiosité n’est que vanité」を
「……なんて……すぎない」と訳したそのニュアンスに
誤りはないのだとあらためて納得。
「あんた方の好奇心、不純だよ」
パスカル先生はそう言いたいようです。
例えば私はブログに自分が面白かったことや美味しかったこと、
腹が立ったことなど、生活の中で印象に残ったことを書きます。
他方、ひとのブログを拝読して共感したり面白がったり反感を抱いたりします。
書くのも読むのも面白い。
ブログを始めてから、以前よりも周囲のあれこれに注意が向くようになりました。
面白いものを見つけたらそれがブログのネタになるからです。
それって不純な好奇心?
そうとも言えるでしょう。
でも、「不純な好奇心」のせいで、楽しみが増えました。
不純な好奇心、そのおかげで私の日常生活はいとど楽しくなっているのです。
ここまで書いてきてふと我に返り、
一体全体なんでまた私はこんなことを書き始めたんだろうと考えたら、
先だって文箱さんのブログで「ブログ考」を拝読したからだと気づきました。
私の今の気分は、ブログ万歳! です。
自分のため、自分が面白いと思うことが何よりですね。
そうした喜びをブログを通じて人に知らせたいのも否定できません。
人に知らせたい、わかってもらいたい、と思うから、ブログ以前よりちゃんと本を読むようになりました。
そうした喜びをブログを通じて人に知らせたいのも否定できません。
人に知らせたい、わかってもらいたい、と思うから、ブログ以前よりちゃんと本を読むようになりました。
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佐平次さん、コメントをありがとうございます。
>ブログ以前よりちゃんと本を読むようになりました。
わが身を振り返るに、読んだ本のことをブログに書く場合、
そのために反芻し、内容を確かめるという作業がついてきます。
コメントを拝読して、私もブログを始める前に比べると
丁寧に読むようになったということに気づきました。
>ブログ以前よりちゃんと本を読むようになりました。
わが身を振り返るに、読んだ本のことをブログに書く場合、
そのために反芻し、内容を確かめるという作業がついてきます。
コメントを拝読して、私もブログを始める前に比べると
丁寧に読むようになったということに気づきました。
by chronoir2023
| 2025-03-03 20:51
| 読書
|
Comments(2)







