大正生まれの亡き父より時代遅れだった私……。
2024年 11月 20日
先だって本を引き取ってもらおうと買取屋さんに来てもらいました。
雑談の中で「腕時計とかないですか」ときかれ、
「ああ、今は殆ど腕時計をしないんですよ、
たまにするけど、980円で買ったカシオのなんです。
ああ、そういえば、亡くなった父の時計が二つあるけど、価値はいさ知らず。
形見みたいなものだから、売れませんね」
と、余計なことまで含めて必要以上に正直に答えました。
実は、この安物の時計は、自分用に買ったものではありません。
現在の私は腕時計をする習慣がないのです。
4年前に亡くなった母がその1年前に施設に入ったとき、
私がいろいろ探した結果、一番見やすいのがたまたま安物のそれだったので、
買って母に渡そうとしたのです。
ところが母は、「いらない」と言い、非常に見にくい愛用の時計をはめ続けました。
年老いた母には見やすさが最優先だと思ったのは私の独りよがりで、
母にとっての最優先はファッションであり、慣れなのでした。
そのとき、彼我の違いを思い知らされました。
それはともかく、買取屋さんに父の時計を
「見せてくれませんか」と言われました。
「いやぁ、奥にしまってあるので」と今度は嘘を言って誤魔化しました。
父は結構お洒落な人でしたが、贅沢をする人ではなかったので、
大した時計であるはずはないのです。
でも、腕時計に興味がなく、殆どはめない私にとっては十分に贅沢品です。
買取屋さんが1000円で本の山の一部だけ引き取って帰ったあと、
その時計のことが気になってきました。
仕事部屋の収納スペースの中に入れているキャビネットの抽斗に
二つとも入れてあるのです。
15年前に父が亡くなってからずっとしまってあるので、
ずっと前から動いていません。
まさに時が止まっています。
私が使わず、手放しもしなければ、ずっとそのままになります。
私には子供がいませんし、付き合いのある親戚の若者もいません。
そう考えたら、父にも時計にも申し訳なく思われてきました。
ならば、せめて自分がときどきは使うかと思い立ち、
自分には上等すぎるけどこれならしてもいいかと思える方を選び、
金物のバンドが気に入らないので、まずそれを外しました。
そして、何十年も前に自分用に買ったまま置いてあった青い革のバンドに交換。
で、昨日、それの電池交換を頼むべく、
山の向こうのスーパーの下の階にあるミスターミニットに行きました。
カウンターの向こうにいる男性がその時計を見るなり、
優しい、諭すような口調で言いました。
「ああ、これはエコドライブですね、うちではできないんですよ」
予想外の言葉……。
戸惑っていると、
「今までどこに置いていました?」ときかれました。
そもそも私は「エコドライブ」という言葉も、
そういう腕時計がこの世にあることも知りませんでした。
結論は、
<太陽光にある程度の時間あてると動き始めるはず、
それでダメなら蓄電池が切れているので、メーカーに連絡を>
でした。
いろいろとびっくりして、すごすごと帰ってきました。
このところ手持ちの仕事があることもあって、昨日はそれだけでもう十分、
それ以上それについて何をしようという考えも浮かばなかったのですが、
一夜明けてしばらくすると、仕事中に突如我に返り、
「そうだ、太陽光にあてよう」と心の中で叫びました。
あいにく外は雨。
でも、思い立ったら我慢できません。
ベランダの右半分には透明な屋根があるので、
その下にかかっている洗濯竿に文字盤を南に向けて吊しました。
そのあと仕事に勤しんで、気づいたら外はもう夜。
時計を取り込んでみると、なんと動いている。
永い眠りから目覚めました!
しかも、日付までちゃんと今日のものになっている。
父が亡くなったのは15年前。
この時計を愛用し始めたのはそれよりかなり前と推測されます。
世の中の大半の人には常識なのかも知れませんが、
私は、世の中にこんな機能を持つ腕時計があることを知りませんでした。
今や世は令和、2020年代。
私の頭の中の情報の一部は、この時計が止まるよりずっと前、
平成の半ばかそれより前で止まっていたようです。あ~あ。
by chronoir2023
| 2024-11-20 22:03
| 計器類
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