アンナー・ビルスマ讃


今日は、2月に引越す予定の妻の実家の敷地内にある元納屋に
現在自宅にあるものをどう配置するかをあれこれ考えていたら、
成果なきままに時間が経ち、疲れ果ててしまいました。

なので、久々にズルをして、このブログを始めて1か月後、
昨年6月7日にアップした記事を編集して再アップします。



アンナー・ビルスマ讃


友人と久しぶりに会ってバッハの無伴奏チェロ組曲の話になり、
かつてよく聴いたビルスマの演奏のことを口にしました。

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数日後、もう何年も聴いていなかったそのCDを鳴らすと、
記憶に違わず、実にいいのです。
音の流れが、その微妙なニュアンスが、いわば心身のリズムにぴつたりと合い、
伸びてほしいところは伸び、細かくしてほしいところは細かく、
大きくしてほしいところは大きく、小さくしてほしいところは小さくなる。
すべての動きがこちらの望むとおりになされます。

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いや、もちろん、これは不正確な言い方だということはわかっています。
望むとおりになされるのではなく、演奏が始まるや、
まるでこちらがそう望んでいたかと思われるようなしかたで音楽が流れるのです。
それは、優れた音楽がもたらす愉楽を実感させてくれます。

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強い刺激や奇を衒つたやり方でこちらを驚かすようなものは何もなく、
そこにあるのは心にしみる音楽だけです。
バッハもビルスマもチェロもどうでもいいのです。
それはバッハでなければならないし、ビルスマでなければならないし、
チェロでなければならないのですが、しかし、
それがこうやって演奏されれば、もうそんなことはどうでもいいのです。

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CDに添付されている冊子にインタヴューが載っていて、
これまた久しぶりに読み返すと、目頭が熱くなるほど実にいいのです。

ビルスマはこう言います。

 私の同業者達の演奏方法の中で、特に私の好まないのは、
 彼等が歌い過ぎ、語らな過ぎることです。バッハの組曲は
 《語る(speak)》音楽であって《歌う(sing)》音楽では
 ありません。
  (太字部分は原文では傍点付です)

そして、こんなようなことも言います。

カザルスコンクールで一位になった後、音楽に飽き飽きして、
職変えを考えていたとき、ブリュッヘンから電話がかかってきて、
演奏会で通奏低音を頼まれた。
そして、その演奏会をきっかけに、音楽に対する情熱を取り戻した……。
(発言そのままを全文引用したくなりますが、要旨にとどめます)

ビルスマの言葉は、その奏でる音楽と調和していて、
しかも、それが至極当たり前のことに思われ、
普段はCD添付の冊子などほとんど読まずに
CDに入っている音楽を聴くことだけしている私の胸を打ちます。

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今どうしているのかとネットで調べたら、
2019年7月に85歳で亡くなっていました。
ブリュッヘンが10年近く前に亡くなったのは知っていました。

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しかし、ビルスマのことは知りませんでした。

残念ですが、若死にというわけではなく、
演奏家としての仕事は全うした良き人生だったと推測します。

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バッハの無伴奏の新録音盤ほか、
ビルスマのCDはほかにも持っていますので、
これから少しずつ聴き直して、
ビルスマのチェロが聴ける幸せを味わいつくそうと思います。


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by chronoir2023 | 2024-11-09 21:15 | クラシック音楽 | Comments(0)

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