「過ぎたるは及ばざるがごとし」とは……。


昨日話の流れの中で『論語』中の一節に触れ、
自分が一般的な受け取り方と異なる受け取り方をしていたことを書いたのですが、
最後の方で自分が「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という文言を使ったことで、
かつてある政治家が『論語』のこの言葉を誤用した「事件」があったことを思い出しました。

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困ったことに、それがいつのことで、誰だったかが思い出せない。
仕方がないのでネットの検索欄に
「政治家 辞任 過ぎたるは 及ばざる」と入れて Enter を押したら、
頭に「Wikipedia 佐藤孝行」が出てきました。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」とは……。_f0405897_19571497.jpg









私は誰かの辞任会見での発言だと思っていたのですが、
1997年に佐藤議員が初入閣した時の記者会見での発言でした。
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この人は、1976年にロッキード事件で逮捕され、
86年に懲役2年執行猶予3年、追徴金200万円の有罪判決が確定したという
前歴がありました。

就任記者会見でそのことについて
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言って追及をかわしたものの、
結局党内外からの批判が止まず、12日後に辞任に至ります。

当時私はその記者会見をニュースで見ました。
その引用発言が飛び出したとき、
「あ~、この人、やっちまったな~」と咄嗟に思いました。

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ウィキペディアにはその発言に注が付いていて、
「過ぎたことは追及しないでくださいと発言したかったと思われる(勿論本来の意味とは異なる)」
とありますが、そのとき私はそのようには受け取りませんでした。
「過去は取り返しがつかない」の意の言葉として使ったと思いました。
「過去の過ちはもう取り返しがつかない。これからの自分を見てくれ」と言いたいところを、
「過去は取り返しがつかない」という意をもつ(と佐藤議員は思い込んでいる)言葉を引用することで
相手が意を汲んでくれることを期待したのだろうと(佐藤議員、大甘もいいところです……)。
今思い出してもそう思います。

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実は、『論語』のことなど知らなかった幼い頃、
なぜか「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉は知っていました、
そして、高校生のときに『論語』本を読むまでは
「過ぎたことは仕方がない、どんなに後悔してもどうにもならない」の意だと思い込んでいました。
ですから、佐藤総務庁長官の誤用発言を聞いたとき、
「やっちまったな~」と自分自身が失敗したかのように感じたのです。

佐藤議員は当然ながら過去の汚点について追及して欲しくなかったでしょう。
しかし、「過ぎたことは追及しないでください」というのは、
その言葉を引用した議員の本心を推測し、
その「本心」を言葉にして見せたものでしかなく、
「発言したかった」ことではないでしょう。
ですから、この注は不適当だと私は思います。

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佐藤議員は『論語』のその言葉を誤用し、
その誤用をウィキペディアが不適当な注をつけて示す。
他の多くのことに通じる、興味をひかれる構図です。
知らない間に私自身もそういう構図の構成要素になりうるし、
すでになっている恐れが十分にあります。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」とは……。_f0405897_20120949.jpg










ウィキペディアの「不適当」な注はともかく、
佐藤議員の誤用を笑う気は私にはないのです。
年少時にとはいえ自分も間違って覚えていたからというだけではなく、
他にも理由があります。

長くなりましたので、それはまたの機会に書こうと思います。


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by chronoir2023 | 2024-10-16 20:50 | 読書 | Comments(0)

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