ベルジャーエフの名言に再会した今日


「人類は」とか、「人類が」とかいう言葉を耳にしたり、
それを口にする人に出くわすと、
私は条件反射のように眉に唾をつけたくなります。
私の中で警報装置が作動し始めるのです。

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文脈に耳を傾けたり、その人の様子をよく見たりすることで、
自分の過剰反応であったことに気づかされる場合もありますが、
その割合は高くありません。

さらに言えば、私が口にする語彙の中に「人類」はまずありません。

今日妻が実家に帰り、このあと一週間は独り暮らしになります。
ちょうど仕事も途切れているし、
ゆっくり何か本でも読むかと思うには思うのですが、
暑さに負けて、気力がわきません。

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そういうときは、書棚の本を次々に適当に取り出して、
昔自分が線を引いたところだけ拾い読みすることがあります。

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確かにこれは今読んでも線を引かずにいられないだろうと思ったり、
今なら線は引かないかも知れないと思いつつも、
線を引いた当時の自分の考え方や心境を思い出して感慨に耽ったり、
今の自分ならどう思うかを自分に問いかけたりして、
時間つぶしのつもりが意外にも充実した時間になったりすることがあります。

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今日手に取った本の中にベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』がありました。
白水社の「《哲学思想》名著選」の一冊です。
会社員一年生で出張暮らしの中、夜寝る前にホテルで読みふけっていた本です。
内容の殆どは忘れてしまったのですが、感銘をうけたということだけは覚えています。

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線が引いてある箇所はそう多くはないので、そこだけ拾い読みすると、
多少は思い出します。
ただ、そのうちの一つだけははっきりと覚えていました。
ある時期まではその文言をくり返し思い出していたのだった
ということも久しぶりに思い出しました。

  およそ天才というものはすべて国民的であって、
 国際的ではなく、国民的なもののうちに全人類的な
 ものを表現するものであるが、このことはとりわけ
 ドストエフスキーによくあてはまる。
 (斎藤栄治訳、白水社、1978年、16頁)

天才に限らない。
人は直接普遍に至ることはできない。
身近な実感を伴う存在を通してしかそれができない。

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当時強くそう思ったことを思い出しました。
あらためて考えるに、今もその考えは変わりません。
「人類は」とか「人類が」という言葉に
私が身をかたくしてしまう所以です。

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ところで、実家に帰る妻を最寄り駅まで見送りに行く途上、
空にいくら何でも首が長すぎる首長竜の肩と首と横顔が出現していました。

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妻の帰りを待つ私をからかっているつもりなの……?


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by chronoir2023 | 2024-08-11 22:17 | 読書 | Comments(0)

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