美は人を寂しくさせる?


仕事をやっていて明らかに集中力が落ちていると感じると、
午前中だろうが昼過ぎだろうが、さっとシャワーを浴びてから、
追焚きした湯舟に10分かそこに浸かります。
それでリセットされた気分になります。

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少し開けた磨りガラス窓の隙間から見える空を眺めながらのこともあれば、
MP3プレーヤーを持ち込んで何か聴きながらのこともあります。

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二週間ほど前、仕事を中断して昼過ぎに浸かったのですが、
その時は「マイベストソング集」をランダム再生しました。
「マイベストソング集」は、自分の好きな歌を二、三十曲入れたフォルダーです。
音源は手持ちのCDやネットの動画などで、1から3まで作っています。

たまたま始まったのが成底ゆう子さんが歌う「涙そうそう」。
久しぶりです。

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素晴らしい歌いぶり。非の打ち所がないと言いたくなります。
声が美しい上に、息のコントロールが無理を感じさせることなく巧みに行われており、
音域も声の質も歌い方も違いますが、稀代の名歌手故カレン・カーペンターを思い出させます。
二人ともよほど歌唱に適した体の持ち主なのだと思います。

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強いて一つだけ「非」をあげれば、
「あなたの場所から私が」の「私が」が
外国語の歌を歌う訓練をした人にありがちの「うゎたしが」に
聞えなくもないことぐらいでしょうか。

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別段キズには感じません。
慣れると、むしろそれまで魅力に感じられ、クセになるほど。

その歌を聴きいていたら、思いがけず、
何だか寂しくてたまらないような気持になりました。

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若くして亡くなった兄を思う歌ですから
寂しさに襲われるのは当然とも言えるでしょうが、
あまりに綺麗な歌声、そしてそれが歌にあまりに合っているために
たまらない気持にさせられてしまうのです。

なぜこんな感情に襲われるのだろう。これは一体何だ?!
不快ではないのです。
それどころか、快いのです。
快いけど、何とも知れない寂しさに似たものが
鳩尾のあたりから目のあたりにまで昇ってきて、
妙な気持になるのです。

焦燥感を伴わない居ても立ってもいられない気持とでもいうか……。
形容矛盾ですね。

ふと、昔読んだチェーホフの短篇「美女」を思い出しました。

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(『チェーホフ全集 8 』中央公論社、1960年、口絵)


学生の頃に古本屋街で一冊ずつ買い集めた中央公論社の全集に入っていました。
十数年前に蔵書の大半を売った際に全巻又売りしてしまったので、手もとにありません。

久しぶりに読んでみたくなり、どの巻に入っているかを調べ、
かつて持っていたのと同じ本を図書館で借りてきて目を通しました。

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(前掲書、82~83頁)


語り手(チェーホフ自身か)が少年の頃の話です。
祖父と一緒にロシア西部、アゾフ海の北東岸に位置するドン州(現在のロストフ州)に行ったとき、
祖父の知り合いのアルメニア人の家に立ち寄ります。

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主人がお茶を出させようと娘のマーシャを呼ぶのですが、
現れた十六、七の少女は「すばらしい美人」でした。
その顔をちらと見るだけで少年は「さわやかな風」が
心の中を吹く抜けるような感覚に襲われます。

少年は、「ただただ、自分からテーブル一つへだてたところに、
美しい少女が立っていることだけ」を感じます。

  この美に対するわたしの感じは、何かおかしなものだった。
 マーシャがわたしの心の中によび起こしたのは、欲望でも、
 よろこびでも、楽しみでもなく、こころよくはあるが、重苦
 しい淋しさだった。この淋しさは、夢にも似て、そこはかと
 ない、あいまいなものだった。なぜかわたしは、自分自身も、 
 祖父も、アルメニヤ人も、そしてほかならぬアルメニヤの少
 女も、気の毒になった。まるで、わたしたち四人が、もはや
 二度と見いだせない、人生にとって必要な、大切なものを失っ
 てしまったような感じが、心の内にあった。祖父も淋しい思
 いを味わっている様子だった。彼はもう牧草地や羊の話など
 しなくなり、ひっそりと黙って、物思わしげにマーシャを眺
 めていた。
 (中略) 
  彼女がその美しい姿をわたしの眼の前に何度もちらつかせ
 るにつれて、わたしの淋しさはますばかりだった。自分自身
 も、彼女も、あわれに思えたし、彼女がもみがらの雲をくぐっ
 て荷馬車の方へ走って行くたびに、やるせなげにその姿を見
 送っているウクライナ人も、あわれでならなかった。それが
 彼女の美しさに対するわたしの妬み心であったのか、あるい
 は、この美少女がわたしのものでなく、また決してわたしの
 ものになる筈もなく、わたしなぞはしょせん彼女にとっては
 赤の他人にすぎないことを、心惜しく思ったのか、それとも
 また、たぐいまれな彼女の美しさも、かりそめの無用なもの
 で、この地上のあらゆるものと同じように、たまゆらの生命
 (いのち)にすぎぬことを、漠然と感じたのか、あるいは私
 の淋しさが、まことの美をしみじみと眺めることによって人
 の心に生まれる、あの一種特別な感情であったのか――それ
 は知るよしもない!
 (「美女」原卓也訳、前掲書、86~88頁)

読んでいると、私も寂しさに似た感情に見舞われます。

小林秀雄の有名な言葉に「美には、人を沈黙させる力がある」がありますが、
美には、人を寂しくさせる力もあるようです。


Commented by saheizi-inokori at 2024-06-04 10:45
けさ、いや夜中に不思議な夢をみました。
めちゃくちゃにいい成績(試験)をとって、「寂寥」という言葉が出てくるのです。
なぜ寂寥なのかは分からないのですが。
そのうち寂寥ってどう書くのだろうか、と夢の方向が変って行きましたが、いつもながら変な夢でした。
Commented by chronoir2023 at 2024-06-04 17:59
佐平次さん、コメントをありがとうございます。

寂寥という言葉を久しぶりに思い出しました。
姿も音も、その言葉が表す意味そのままの語に思えてきます。
変な言い方と自分で分かっていながら、そう言いたくなってしまいました。
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by chronoir2023 | 2024-06-03 19:55 | 不思議な出来事 | Comments(2)

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