『言葉の常備薬』その2 こちらでもモヤモヤが……。


今日は、三日前の続きを書きます。

文箱さんのブログ「書架だより」で昨年11月に紹介されていた本、
『言葉の常備薬』(呉智英、双葉社、2004年)を同月に読みました。
興味深いネタ満載の本で、大変面白く読んだのですが、
その中でも私が特に興味を引かれたネタが二つあり、
三日前にここに書いたのは、そのうちの一つについてでした。

今日は、残りのもう一つについて書きます。
「秋の美、牝の美」というタイトルのもとに書かれていることです。

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それは、八木重吉という詩人の詩について書かれたもの。
私は詩に疎く、この詩人を知りませんでした。

学生時代からこの詩人に興味を持っていた呉さんは、
1982年10月の朝日新聞の宗教欄で、
それまで知らなかった詩を目にします。


 『素朴な琴』

 この明るさの中へ

 ひとつの素朴な琴をおけば

 牝(めす)の美しさに堪(た)へかねて

 琴はしづかに鳴りいだすだらう。


太字は私が強調のためにそうしたもの。
また、( )内は本ではルビになっています。

呉さんは、この詩人を「純朴な詩ばかり書いている」人だと思っていたので、
「こみ上げてくる激情が生々しく脈打つような」この詩に驚き、
「たった四行で、これだけの表現ができるのも、八木重吉ならではだろう」
と思います。

ところが、一週間後に訂正記事が出ます。

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「牝(めす」とあったのは誤植で、正しくは「秋」だったのです。

 「秋の美しさに堪へかねて」なら、 誰がどう見ても八木重吉
 じゃないか。 事実そうなのだから、それでいいんだけれど、
 私は、八木重吉とは思えない意外な官能美に驚嘆していたのだ。
 私の驚嘆は、どうしてくれるんだよ。(190頁)

これだけで十分に面白い話ですが、いろいろと考えさせられる話でもあります。

作者と作品の関係をどう見るか、
作品を専ら作者に所属するものと見るかどうかという問題です。
著作権絡みのことは横に置きます。

呉さんに限らず、訂正前の詩を見て心を動かされた人にとって、
心を動かされたというそのことは、事実であり、真実であるはずです。
訂正後の本来の詩がよい詩だったとしても、驚嘆とは縁遠いでしょう。
だとすれば、訂正後の詩はそれとして、訂正前の詩はどうなるのでしょうか。

これが詩として文章として意味をなさない誤植だったら、話は別だったでしょう。
「牝」でなく、例えば「利」だったり「托」だったりしたら、詩にならず、
人の心を動かすことなどないし、刷る前に明らかな誤植として訂正されていた可能性が高い。

「牝」であったからこそ、一つの詩に見え、呉さんの心を動かしたわけです。
誰かが意図的にその語を使ったわけではない。
しかし、それはもとの詩とは違う詩を成立させ、人の心を動かした。

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実に面白いことだと思います。

さて、「牝」の方が、強烈な印象を与えるとして、
個人がその形でその詩を味わうことに何か問題があるでしょうか。
あるいは、それが誤植だと知ったあとでは、強烈な印象は消えてしまうのでしょうか。
心を動かされた事実は残っても、それは真実であることをやめてしまうのでしょうか。

これは、AIが作った詩に感動できるか、感動したとしたらどうか、
という問題にも通じます。
 
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ある一人の人間の感情、経験、心根、教養、思考……、
つまり人間性あっての詩ではないか、
と思わないではないのですが、
現にここに詩があって、それに感動を覚えた場合、
誰がそれを作ったか、何がそれを作ったかは、
大した問題ではないようにも思われるのです。

あるいはまた、ある詩の一部を変えることで感動が増すなら、
自分で楽しむ分には変えて構わないのではないか、とも思われてくるのです。

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実は、そんなことを言いながら、私の中にはモヤモヤが発生しています。
このモヤモヤを如何せん……。


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by chronoir2023 | 2024-01-06 20:00 | 読書 | Comments(0)

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