『すばらしい新世界』がもたらすモヤモヤ感


昨年の秋に、オルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』を読み終わりました。
ずっと気になっていた本ながら、読んだことがありませんした。

訳本は何種類かあるのですが、一番新しいというだけの理由で、
ハヤカワepi文庫版を選びました。
図書館で借りて確かめることもせず、購入しました。

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読み始めはかなり読みづらく、読み続けるのがかなり苦痛でした。
訳が自分に合わないのか、別の訳本を選ぶべきだったか、そう思いました。

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しかし、訳文は、意味の取りにくいところはないし、
日本語文として眉を顰めてしまうような箇所もないのです。

我慢して読み続けているうちに、だんだん慣れてきて、
苦痛ではなくなくなったのですが、面白くはない。
しかし、真ん中辺りから面白くなってきました。
話が展開し始めたからです。

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そう、面白くなかったのは、なかなか話が展開しなかったからです。
小説なのに、それでは面白くなくて当たり前。
そこに至るまで面白くなかったのは、訳文のせいではなく、
原文のせいだったと思われます。

さて、読み終わった感想ですが。
う~む。なかなか言葉になりません。
モヤモヤしています。

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モヤモヤしていてなかなか言葉にならないのです。
粗筋や描いている世界の概観は書けます。
しかし、それをどう自分が受け止めるかを書くのが非常に難しい。

粗筋と描かれている世界の概観については、
「訳者あとがき」が非常にうまく紹介しています。
私自身がそれを書くとしたら、こうなるだろうという感じがします。
実際は私にはそのようにうまく書くことはできません。
しかし、そう思わせてしまうほど、要を得た書きぶりなのです。

たとえば、内田光子さんのモーツァルトの演奏を聴いていると、
自分はピアノが弾けないのに、弾くとしたらこう弾くだろうと思わせられます。
空想の世界で自分が弾いているような気持になります。

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実際は、内田さんの演奏を聴かない限りは、私の中に理想の演奏はないのです。
そもそも、理想的な演奏を想定する音楽的な力が私にはありません。
ところが、聴くと、まるでそれが自分が弾きたい理想の演奏だったように感じられてくるのです。
つまり、内田さんの演奏に非常な説得力があるために、勝手な錯覚が生じるのです。
実に快い錯覚です。

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そんなことを連想させるほどに、訳者の大森望さんの解説はよいのです。

駄目です。
モヤモヤを解消すべく、今日こそはと書くことを自分に強いたのですが、
結局先延ばしの文言を書き連ねているうちに、もうすでに長くなってしまいました。
続きは近日中に書きます、たぶん、いや、きっと。



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by chronoir2023 | 2024-01-05 20:23 | 読書 | Comments(0)

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