松本清張「海嘯」と羊


夜なかなか寝つけないときは、朗読や講演や落語の音声をMP3プレーヤーでききます。
最近は、ネット動画の音声だけをダウンロードして、それをきくこともよくあります。

朗読も、ネットで無料でダウンロードできるものが結構あり、
最近はそれも利用しますが、それを知らない頃は、
図書館で朗読CDを借り、それをデータで保存してきいていました。
今もときどきききます。
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図書館にある朗読CDなら何でもいいというわけではもちろんありません。
作家あるいは作品と朗読者を選びます。
作家なら、松本清張、夏目漱石、森鷗外、山本周五郎、
朗読者は、市原悦子、鈴木瑞穂、小池朝雄、佐藤慶、風間杜夫、
といったところ。

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昨夜、久しぶりに小池朝雄朗読の松本清張「海嘯(つなみ)」をききました。
江戸時代を舞台にした短篇集『無宿人別帳』中の一篇です。

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ききながら、先日ここで取り上げた「ヨハネによる福音書」中の一文、
「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」を思い出さずにいられませんでした。

主人公は能州無宿の新太という男。
夜鷹のおえんといい仲になっていて、いずれは夫婦になるつもりでいます。

ところが、新太は無宿者狩りにあい、石川島の人足寄場に送られてしまいます。

新太の人足仲間として典型的な二人の人物が出てきます。
甲州無宿の権太と、野州無宿の卯之吉です。

卯之吉は、人足寄場の生活に満足しています。
一生そこにいたいと言います。
そこに来るまで卯之吉は、人家の裏口で食べ物をあさり、
橋の下や軒の蔭で寝るというような生活をしていました。
ところが、人足寄場では、食べさせてくれるし、
病気になれば医師にみてもらえるし
働いた分のお金の積み立てまでしてくれる。
卯之吉にしてみれば、有り難くてしかたがないのです。

一方、権太は新太にこんなことを言います。  
 
 「人間、飯だけありゃア生きてるというもんじゃねえ。
 翼があって好きな所に飛び廻らなきゃ生き甲斐はねえのだ」
 (『松本清張全集 24』 文藝春秋、1972年、30頁)

 「おらあ、いつかこの島から脱け出すつもりだ。きっとだ。
 その時ア、おめえも連れて行ってやるぜ」(同上)

ある日、江戸の町を海嘯(つなみ)が襲います。
ちなみに、小池朝雄さんの朗読、実に巧みなのですが、
海嘯が押し寄せる箇所は、迫力満点で特に素晴らしい。
「うわあ」と言う叫び声をあんなふうに読める人はなかなかいないと思います。

新太は、漁師の息子なので、雲を見て事前に海嘯の襲来を察知します。
作業中の仲間たちに知らせますが、誰も信じず、相手にしません。
役人のところに駆け込みますが、追い返されます。
無理もありません、空も海も平穏にしか見えないのですから。

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しかし、海嘯は本当にやってきます、

たちまち大混乱となり、寄場奉行は人足たちに
逃げろ、ただし、高潮がおさまったら、永代橋際に集まれ、と何度も叫びます。

新太は卯之吉を誘って逃げようとしますが、
卯之吉は、生きるも死ぬも「お役人衆」と運命をともにすると言い、
誘いを断ります。
権太は逃げようとしますが、片足が不自由だったせいか、
姿が見えなくなってしまいます。

卯之吉は、逃げのびますが、最後には弱気になります。

 そうだ、海嘯が退いたら、 永代橋際に行こう。 寄場奉行の声が
 耳の底に残っていた。また、島に帰ろう、帰って草履を作るのだ。
 おえんにも会いたくなかった。おとなしく島に帰ったら、奉行は
 誉めてくれるに違いない。がっくりと気落ちしたなかで、新太は
 絶望を噛みながら、そんなことをぼんやりと思った。 
 (同上、40頁)

自分から羊になりたがる人がいます。
しかし、その人は、それまでにさんざんな目にあってきて、
自由よりも何よりも最低限でいいから衣食住と安楽を得たいという人かもしれません。
あるいは、体に問題を抱えていて、そうせざるをえない人かもしれません。
一方、ただたんに、右にならえ、をしているだけの人もいるでしょう。

元金融大臣某の「皆さんには貧しくなる自由がある」と同様、
人には羊になる自由もあるでしょう。

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卯之吉は自由を忌避します。
権太は、自由を求めたものの、体がついていかず、水中に消えました。
自由を望んでいたはずの新太は、エネルギーが落ちてしまうと、
自由よりも保護を求める気持が強くなってしまいました。

私自身はどうか。
今は元気だから、羊になどなるかと思っていますが、
もっと年老いて体がきかなくなったらどうか。
精神のエネルギーが急激に低下してしまったらどうか。

個人の自由、保護、安定、安楽、そして、社会の安定の維持……。
少し考えただけでも、頭の中で自由という概念が溶けていような感覚に襲われます。
あるいは、つかみ所がないまま、水に流されていくような……。
そうなるについては、自分が羊の存在により恩恵を受けている面があること、
そしてまた、自分にも羊の面があることが少なからず関係していると思われます。

どう転んでも、各自がどう生きるかの問題になります。
と言っても、各自のそれの集まりが社会の行方に強く影響します。
あまりにも当たり前のことであるとともに、厄介なことと思わざるをえません。


Commented by dokkkoi at 2023-11-03 19:58
こんにちは。

深く哲学的な命題をあたえられたような気持ちになりました。

私の場合は、自分も夫(ステージ4の癌)も命の瀬戸際の病を抱えているので、羊でいることを選びます。
命さえあれば、病気さえなければ、お金も何もいらない、貧困でさえも甘んじて受ける気持ちです。
若い時は、血気にはやって、羊であることを毛嫌いしていました。羊を選ぶなら、死をなどと粋がっていたと思います。
哲学も、学問も、教養も、倫理観も、風前の灯火である「命」の前では、無価値なものに見えます。遠藤周作の『沈黙』にもありましたが、「命」の前では「踏み絵」を踏んでしまうものです。
Commented by chronoir2023 at 2023-11-03 20:56
文箱さん、こんばんは。コメントをありがとうございます。

この種の問題は、ただただ状況に流されて生きているだけの人以外は、
多かれ少なかれ気にせざるをえない問題だと思います。
そして、答えは出ないか、その都度変わるか、なのだとも思います。
今の私はどうかと自問すると、<できるだけ羊にはなりたくない>という、
政治家の答弁のような、幅のある狡い答えしか自分に返せないことを思い知ります。
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by chronoir2023 | 2023-11-03 19:14 | 読書 | Comments(2)

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