たかが統計、されど統計


数日前、橘玲さんの『世界はなぜ地獄になるのか』を読み終えました。
今年の8月に出た本です。




2002年発行の『マネーロンダリング』を同年に買って面白く読んだあと、
橘さんの本は、新刊が出るたびに買ったり図書館で借りたりして読んでいましたが、
だんだん違和感を覚えることが多くなって、一時は読まなくなっていました。
しかし、最近はまた、読むようになりました。

いつだったか、ずいぶん前のことですが、ユングの弟子か誰かの何かの本で
「人間を統計によって見ることに比べたら共産主義など恐れるに足りない」
という旨のことを書いてあるのを見て、なるほどと思った記憶があります。

金融・投資の枠から出て社会問題の類いを語るようになった橘さんの本に感じるようになった違和感は、
それらの本が私には、人間をもっぱら統計で語っているように見えたことに起因していると思われます。

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こう書いて、自分の記憶に自信がなくなり、確かめないとまずいという気になり、
たぶんそれであろうと当りをつけた本を図書館で借りて該当箇所を探したところ、見つかりました。
本は、ユングの弟子だったM-L・フォン・フランツの『永遠の少年』です。

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上記「 」内に対応する箇所を太字にします。

  ユングも指摘しているように、個性化の過程にとって個人を統計の尺度で計ることほど
 有害なことはない。それは一切を相対化してしまう。自分を統計的に考えるように慣らさ
 れて行くことに比べたら、共産主義など恐れるに足りないとユングは述べている。科学的
 な統計とやらによれば、スイスでは年間これだけの新しい世帯が生まれて住宅不足に悩ん
 でいるとか、各都市にはこれだけの住民が住んでいるとかのデータが出てくる。しかし、
 目の前に数字を並べられただけでは、それが自分にとってどういう意味があるのか実感が
 わかない。まったく有害な毒でしかないうえ、さらい悪いことには、それは真実でもない
 のだ。統計は現実の歪められたイメージである。もし、われわれがちょっとでも統計的に
 考えようとすれば、自分の独自性を否定しなければならない。考え方ばかりではなく、感
 じ方まで影響されるのだ。〔中略〕統計は因果の蓋然性から成り立っており、従ってあく
 まで現実を説明する一手段にすぎない。〔後略〕
 (『永遠の少年』M-L・フォン・フランツ、松代洋一・椎名恵子訳、ちくま学芸文庫、2006年、167-168頁)

私はこれを1982年に紀伊國屋書店から出た単行本で読んだはずです。
頭の方だけ読んで投げ出し、そのあとかなり経ってから古本屋に売ったと記憶しており、
また、統計云々は、頭のせいぜい20頁ぐらいまでには出ていたはずと思い込んでいました。
箇所ほか、いろいろと違っていました。
私の記憶、本当にいい加減で、怖くなります。絶望的です。
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とはいえ、今回については、当たらずとも遠からずではあるかと思います。
それに、出典との関係が微妙でも、「 」内は、悪くない考えだと思います。

さて、そんなことで、一時は橘本から離れたのですが、そのうち恋しくなりました。
違和感があっても、この人の本は面白いのです。

自分の知らない最新の情報に触れることができる上に、
その情報のかなりの割合が自分にとって意外で、興味深い内容です。
また、橘さんの本を読むことで、何冊もの未知の本の内容のつまみ食いができます。
いちいちそれらの本を読まずとも、情報が得られますし、
出典が書いてあるので、強く興味を引かれたら、あるいは、
本当にその本にそんなことが書いてあるのかという疑いが生じたら、
もとの本に当たればいいのです。

違和感を維持しつつ、大袈裟に言えば、それに耐えつつ、
橘本読みを再開した所以です。
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統計で人間を見ることは、「現実を説明する一手段」として有効であり、
それのみで人間を見ることの危険を弁えておけばよいわけです。

『世界はなぜ地獄になるの』も興味深い内容満載の本でした。

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by chronoir2023 | 2023-10-13 20:11 | 読書 | Comments(0)

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