『斬』についてさらに


かなり間が空きましたが、『斬』について、さらに書きます。
今回で最後になると思います。

小説『斬』中の「余談」(三島と森田の腹の切り方について)_f0405897_15061312.jpg

斬首刑は、斬首が理想的になされれば、
ギロチン同様「<痛い>とも<痒い>とも感じるひまはない」はずです。

もちろん、斬首刑にされてのち生存した人はいませんから、
本当に苦痛がなかったのか、あったとしてどの程度だったのかは
確実なことはわかりません。
推測に過ぎません。
しかし、その推測のもとに『斬』は書かれていますし、
私は、その推測を理にかなったものとみなして話を進めます。

江戸時代には、斬首以外にも死刑の方法がありました。
火刑(火あぶり)、磔刑(はりつけ)、鋸挽(のこぎりびき)。
もし私が死刑を宣告され、四つの中から一つを選べと言われたら、
断然斬首を選ぶでしょう。
しかし、それでも――。

好んで死ぬ人などめったにいません。
まして、斬首にされるとなったら、逃げたくなって当然です。
しかし、公的な刑罰なのですから、逃げられません。

すっかり観念し、肝を据えて、
首斬り人が斬りやすいように静かに首を差し出せば、
処刑は一瞬で終わります。少なくともそのはずです。
ところが、どうせ逃れられはしないのに、逃れようとして暴れると、
悲惨なことになります。

『斬』で初めて知ったことあれこれ_f0405897_13550759.jpg


強いられた斬首と自分が望んだ介錯との違いはあれ、
昭和45年11月25日の三島由紀夫のように悲惨なことになります。

三島は興奮して腹を深く切りすぎたために体勢を保つことができず、
一太刀でなされるべき介錯を不可能にしました。
首が落ちるまで何太刀かを受けなければならなかった三島の苦痛は
想像を絶します。

明治12年、斬首刑の最終期に、
吉亮(よしふさ、七代目山田浅右衛門の三男で、この小説の主人公)は
髙橋でん(お伝)の斬首を担当します。

お伝は男性を一人殺した女性です。
捕まって、姉の敵討ちのために殺したと言い張りましたが、
結局は金を奪うために殺したと結論づけられ、斬首を宣せられました。

刑場に連れてこられたお伝は、最初は落ち着いて見えたのですが、
吉亮が刀に手をかけたそのとき、
「待ってください」と叫び、「うちの人」に会わせろとごね始めます。
お伝はあれこれ言いながら体を動かし続けるのですが、
吉亮は、お伝の動きが止まった一瞬をとらえて刀を振り下ろします。
 
  コツ!
  という音が響いた。途端に「キェーッ! 」というお伝の悲鳴が
 あたりの空気を引き裂いた。
  斬り損じであった。吉亮の刀は手許が狂って、お伝の後頭部
 にあたり、骨を斬りつけたのであった。〔中略〕お伝は狂った
 ように、いや実際にもがき狂って、後頭部から血を噴き出し、
 ヒーッ、 ヒーッと悲鳴をあげながら、 血溜りの漆喰で固めた
 三和土のなかに這いずりこんで、刀から逃れようとした。
 (397頁)
 
吉亮は、さらに刀を振り下ろしますが、刀はお伝の顎にあたります。
再度の斬り損じです。

『斬』についてさらに_f0405897_07434507.png










やむを得ず、押さえ役三人がお伝をうつ伏せに押さえつけ、
吉亮は、お伝の首を押し斬りにします。

お伝にとっても吉亮にとっても、
悲惨なことになりました。

一方、これとは対照的な話も出てきます。
相手があまりに立派だと、しくじりかねないという話です。

 〔前略〕父の吉利からの話では、〔中略〕彼ら〔志士たち〕は
 一見<喜んで死んだ>としか言いようのない状況で生から離れ
 てゆく。こちらの斬りいいように斬られてくれるのが、なんと
 も不思議というしかない、というのである。こちらが戸惑いを
 感じるくらいだ、という。だからその戸惑いのためにその斬り
 手の心が乱れ、斬り損じが生ずる場合がある。それを他人は、
 斬られる者の<偉大さ>に打たれて斬り手の刀が萎縮した、と
 見る。そして実際、こちらにその戸惑いを与えるくらいの人間
 こそ、掛値なしの大人物なのだ、というのが吉利の人間観であっ
 た。だから志士という存在は、いちばん斬りやすくていちばん
 斬りにくい。つまり斬る者と斬られる者の心の戦いが生じるか
 らだ、という。(209頁)

斬りいいようにしてくれる立派な人物を斬り損じたのでは、
斬首のプロの立場がなくなります。
そんな立場に置かれたくないものです。

明治三年十二月、吉亮は、<志士>である雲井龍雄の斬首を担当します。
雲井は米沢藩士。新政府打倒を企てたとして捕らえられ、梟首を宣せられました。
梟首とは、斬首の後に、その首がさらされる刑で、当時はまだ存続していました。

吉亮は、規定に反して相手にできる範囲での敬意を表した上で、
見事に自分の仕事を果たします。

その辺りの記述は、吉亮の緊張感が伝わってきて、
失敗しないでくれと祈りながら読みました。
『斬』についてさらに_f0405897_15165915.png











祈ったところで、結果に影響することはないのですが、
著者にのせられてしまいました。

『斬』、なかなか凄い小説でした。
読みづらい文書の引用がときどき出てきますが、素通りしても大きな支障はなく、
エンタメ小説として面白く読めます。
エロ系の話も少し出てきます。




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by chronoir2023 | 2023-10-09 19:38 | 読書 | Comments(0)

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