チェスタトンは文人失格?


チェスタトンの『聖トマス・アクィナス』 (ちくま学芸文庫、2023年)を
今年の8月の下旬に買いました。
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この本を知ったのはアマゾンのサイトでです。
一件だけレビューがあって、「とても読みやすく圧巻の内容」というタイトルのもとに、
「とても読みやすく、翻訳調はない」などとと書かれており、
それに対して、短期間にしてはかなりの「役に立った」ボタンが押されていました。

読んでみたいので図書館に予約を入れようとしたのですが、
貸出中で、なおかつ予約もいくつか入っていました。
貸出期限内(2週間)での読了が自分には難しいかもしれないと推測されたこともあり、
購入することにしました。

で、8月末に読み始めて数週間、休み休み116頁まで何とかたどり着いた昨日、
もう投げ出すことにしました。
いくらなんでも、もう読み進められません。

濃霧の町を歩いているようでした。
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ときどき建物が朧気に見えたり、たまにはっきり見えたりもしますが、概ね五里霧中。
語と語の掛かり合いがつかみにくい文章や、文脈上違和感のある語が頻出し、
文意がつかめない箇所だらけなのです。

とにかく何とか読み進めていたのですが、真ん中にも届かぬ段階で、諦めました。
時間の無駄、労力の無駄、ごろ寝していた方がまし、と最終判断しました。

お金と時間を返せ! と言いたいところですが、
書店で本を手にとることも、
図書館で予約して自分の順番が来るのを待つことも、
著作集所収版なら図書館ですぐ借りられたのにそれに気づくこともせず、
簡単に他人の意見につられて買ってしまった自分が軽率だったのですから、
どうしようもないのです。

とはいえ、どうにも気持が悪いので、文章のごく一部をここに示します。
どこでも同じようなものですが、
霧中歩行最終到達点である116頁の文章を引用することにします。

さっき知ったのですが、Project Gutenberg Australiaで原文が見られるので、
原文も示します。


  伝統的な聖人伝の行き方に対して、どの聖人でもみんな同じ人物に
 見せてしまう傾向があるのではないか、という非難が行なわれている。
 〔中略〕
 
 It is a real case against conventional hagiography that it sometimes
 tends to make all saints seem to be the same.〔中略}


 聖ルイは生まれながらにして騎士であり、王だった。しかし、彼は勇気や
 活動性と結びついた素朴さのため、どんな公式の義務や職務をも直ちに
 すばやく成就することを、当然であり、かつ、ある意味で容易と感ずる
 種類の人間であった。

 St. Louis was born a knight and a king; but he was one
 of those men in whom a certain simplicity, combined with courage
 and activity, makes it natural, and in a sense easy, to fulfil
 directly and promptly any duty or office, however official.


 彼は神聖さと健康とがうちに争い合うことのない人間で、しかもそれら
 二つのものは活動する成果を生んだのである。

 He was a man in whom holiness and healthiness had no quarrel;
 and their issue was in action.


 彼は多くを理論化する意味で多くを思索することを特に好まなかった。

 He did not go in for thinking much, in the sense of theorising much.


 だが、理論においてすら、稀に見る真の実際家が思索しなければならぬ
 時に示す種類の落ち着きを示したのである。

 But, even in theory, he had that sort of presence of mind, which
 belongs to the rare and really practical man when he has to think.


私はこういう日本語文を「とても読みやすい」とは思いません。
そもそも日本語文として通用すると認めたくありません。
一見、普通の日本語文に見えますが、意味をつかもうとすると、つかめない箇所だらけ。
そもそも文章は意味をつかんで読むのが普通ですから、それではどうしようもありません。
この手の文が延々と続く本が「学芸」本としてまかり通るならば、
この国は衰退しない方がおかしいとさえ思います。

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私は日本語を母国語とする日本人です。
英語の理解力は大学の教養課程修了程度かそれよりやや上の程度。
その私には、上記の日本語文の分かりづらさは、原文のそれと大して変わりません。

考えてもみてください、日本人が自分自身の考えを日本語でこういう文章にしたとして、
その人は著述家として通用するでしょうか。文人と称せられるでしょうか。
私には、とてもそうは思えません。

つまり、こういうことになります。
チェスタトンが書く文章が日本語に置き換えるとこういうふうなのだとしたら、
チェスタトンは著述家として通用せず、文人と呼ばれる資格がない、
ということに。

上記のレビューアーも、「役に立った」を押した人たちも回し者なのでしょうか。
それとも、上記のような「日本語文」をわかりやすく読み取る特殊技能を持っているのでしょうか。

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今あらためて「レビュー」を見ると、日付が8月9日で、この本の発行日と同じです。
しかも、「Amazonで購入」の表示がありません。
好意的に見れば、著作集版で読んでいて、文庫化されたことが嬉しくて、
文庫版は買いも読みもせずにレビューを書いたのかもしれません。
その可能性はあります。
しかし、だとしても、今現在の「役に立った」の「21人」は実に不思議です。
こんな見るからに渋い内容の本に興味を持ち、
それを褒める「レビュー」に「役に立った」ボタンを押した人が、
すでにもうそんなにいるとは!

今は、そのことが不自然に思われ、気になりますが、
購入段階では、気になりませんでした。

いい勉強になりました。

なお、蛇足ながら、チェスタトンの名誉のために、手持ちの本の中から、
まともな日本語文で示された同人の文章をちょっとだけ引いておきます。

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内容についての賛否は別として、文意のつかめない箇所はありません。
原文がわかりやすいから、ということはあるにせよ……。

 想像は狂気を生みはしない。狂気を生むのは実は理性なのである。
 詩人は気ちがいになりはしない。気ちがいになるのはチェスの名人
 だ。数学者は気ちがいになる。それに出納係。だが創造的芸術家は
 めったにならない。私は別に論理を攻撃しているのでは毛頭ない。
 そのことはいずれわかる。ただ、気がふれる危険は論理にあって想
 像にはないと言うだけだ。詩を生むことは子どもを生むことと同様
 健康の印である。
 (「脳病院からの出発」『正統とは何か』安西徹雄訳、春秋社、1995年、19頁)

  Imagination does not breed insanity. Exactly what does breed
 insanity is reason. Poets do not go mad; but chess-players do.
 Mathematicians go mad, and cashiers; but creative artists very
 seldom. I am not, as will be seen, in any sense attacking logic:
  I only say that this danger does lie in logic, not in imagination.
 Artistic paternity is as wholesome as physical paternity.


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by chronoir2023 | 2023-09-28 20:21 | 読書 | Comments(0)

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