『斬』で初めて知ったことあれこれ


一昨日に続き、小説『斬』についてです。
この小説には、知らなかったことがたくさん書かれていましたが、
今日は、その中でも特に衝撃的だったことについて書きます。

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「土壇場」という言葉

まず、「土壇場」という言葉のもとの意味。
この言葉は、私も使ったことがありますし、人が使うのも見聞きします。
とりわけ<土壇場でキャンセル>の略し言葉である<ドタキャン>は、
最近よく見聞きし、私自身も使うことがあります。

 片膝立ちから立ち上がった吉亮(よしふさ)は死罪場の隅に植えられた
 五、六本の柳の枝の揺れを眺めながら大きく深呼吸をした。それから
 検視役として立会っている牢屋奉行の石出帯刀(いしでたてわき)、牢屋
 見廻、検使与力に一礼し、土壇場に近づいて刀を抜いた。
 (39頁)

 どうして土壇場に追いこまれたときの女の顔はこうも美しいのであろう。
 そこにはぎりぎり偽りのない女のほんとうの表情が現れるからであろうか。
 吉亮は生命の最後の燃焼を賭けている女の顔に感動した。
 (179-180頁)

ジャパンナレッジの<日本国語大辞典>の「土壇場」には、こうあります。

 首斬りの刑を行なう場所。首斬り場。しおきば。どだん。

上の引用文中の「土壇場」まさにその意味で使われています。
こういう恐ろしいものを表す言葉が普通に使われ、自分も使っていたことに驚きました。
使って悪いということはないでしょうが、もとの意味を知らずにいたことに驚きました。 
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上記のように、辞書の類にはちゃんとのっていますし、
ネットでも土壇場の意味を説明したサイトはたくさんあるので、
それを見てさえいれば、もとから知っていておかしくなかったのですが、
私はこの小説を読んではじめて、知りました。

なお、吉亮は、七代目山田浅右衛門吉利(よしとし)の三男で、この小説の主人公です。
歴代の山田浅右衛門は、江戸時代、二百年以上にわたって罪人の首を斬り続けました、


試し斬りに使われたものは……

次に、江戸時代、斬首刑に処せられた罪人の死骸が、刀の試し斬りに使われたこと。
こんなことは全く知りませんでした。

そもそも山田浅右衛門の本業は、首斬りではなく、試刀業でした。

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将軍家をはじめ、顧客から預かった刀で死骸を斬り、その斬れ味によって
その刀の鑑定をするのです。

 刀とは人間を斬る道具である。〔中略〕とすれば、本当の斬れ味
 というのは人間の身体を斬ってみるしか試しようがないのでは
 ないか。それならばその斬らるべき人間はどこに存在するのか。
 論理の行きつく先はもはや説明を要しないであろう。いうまで
 もなく死刑囚の肉体である。
 (68頁、下線部は原文では傍点付き)

斬首刑執行は本来は役人である首斬同心の仕事です。
しかし、斬首は高度の技術を必要とします。素人には至難です。
首斬同心の代役を務めたのが、代々の山田浅右衛門でした。
役人の代わりに斬首を行い、そののちには、死骸をもらい受けます。
それを試し切りのために使用するのです。

 七代にわたって<将軍家御佩刀御試御用(ごはいとうおためしごよう)>を
 つとめた<山田浅右衛門>〔中略〕の鑑定料は一口三十万円以上の
 相場はあったのではないかと考えられる。
 (189頁)

それだけの収入があったればこそ、
首斬執行の手当を本来の担当者である同心にそのまま渡したり、
奉行所関係者に相当の送り届けができたのあろうと著者は推測しています。

すごい時代だったんだな、江戸時代って、と思いますが、
驚きの話はこれに留まりません。


被刑者は売薬の原料にもされた

処刑後の死骸は、試し斬りだけに使われたのではありません。
「生胆(いきぎも)」を抜き取り、それを原料にした売薬で山田家は潤いました。

  この製薬業による利益も莫大なものがあったであろう。
 人胆から抽出された膏(あぶら)と、膏をぬいたあとの人胆
 を加工して丸薬にしたものと、二通りあったようである。
 (191頁)

吉亮とその二人の兄および門弟三人で
「死刑囚十人」の「溜め斬り」を行った日の夜の描写が凄い。

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吉亮が寝ていると、障子の外でポタリ、ポタリと何かがしたる音がします。

  障子をあけると、雨戸を閉めた真っ暗な廊下に、きょうの
 処刑で取ってきた十個の生胆がずらりと一列に並んでぶら
 下っているのが手燭の光で浮き上がった。断続音の正体は
 それらの生胆からしたたる膏の音なのであった。大きなあ
 わび貝を受け皿として溜められたその膏は、やがて小さな
 貝殻に分けられて、山田家の財源である売薬の一つとして
 市販されるはずである。
 (184-185頁)

明治になって間もなく、試刀も生胆による製薬も禁止となります。
そして、明治十年代半ばまでには、斬首による死刑が他の手段によるものにかえられ、
山田家の家業は全て消滅してしまいます。

江戸時代って、まったくもうとんでもない時代だったんだなあ、
と再び思ってしまいますが、その一方でこうも思います、
江戸時代の人から見たら、今のこの時代はどう見えるのだろうか、と。

『斬』は、読みごたえのある小説です。
もっと知られていい作品だと思います。

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by chronoir2023 | 2023-09-05 19:33 | 読書 | Comments(0)

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