小説『斬』中の「余談」(三島と森田の腹の切り方について)
2023年 08月 28日
少し前に、綱淵謙錠の『斬』(文春文庫、2011年)を読み終えました。
休み休み読んで、一ヶ月ほどかかりました。
1971年から72年にかけて雑誌連載され、
単行本になったのが1972年とのことで、半世紀以上前です。
江戸時代から明治初年にかけて代々罪人の首斬りを担当した
山田浅右衛門を題材にした小説です。
自分が全く知らない世界を覗いてみたいという気持に、
怖いもの見たさの悪趣味が加わって、読みはじめました。
読み応えがありました。
さて、いろいろと思うことはあるのですが、
そのなかで今日書きたいのは、メインのストーリーについてのことではありません。
作中で、著者が「余談」として語っていること、
そして、それについての「解説」についてです。
その「余談」は、三島由紀夫の「割腹自刃」についての「談」です。
(48~56頁)
この事件の経緯およびそれが持っている政治的・社会的・
思想的あるいは文学的背景ならびに意味については本稿の
関与するところではない。ただ<斬首>すなわち<介錯>
という視点から眺めて、三島と森田の腹の切り方について
いささかの感想を述べてみようというのである。(49頁)
昭和45年(1970年)、三島は自身が主宰する盾の会の仲間4人と、
陸上自衛隊東部方面総監部に入り、
総監を人質にとって自衛隊員を集めさせ、バルコニーから彼らに向かって演説をしました。
しかし、隊員からの反発が大きくて短い時間しか続けられず、総監室に戻ります。
そして、五人のうち、三島と森田必勝の二人が「割腹自刃」し、介錯によって死亡します。
著者は、新聞報道をもとに、
・三島が腹を深く切りすぎたために森田による介錯に支障が生じた。
・三島のその切り方は介錯がある場合の作法に反していた。
・三島は切腹の作法を熟知していたはずなのにその作法に反してしまった。
・一方、森田は作法通りの切腹をしたため、介錯がうまくいった。
という主旨の、「感想」を述べています。
三島の自決の状況について大まかなことしか知らなかった私は、
大変興味深く読みました。
そして、三島由紀夫、かっこよく死にたかったろうに、
武士らしい「見苦しくない」死に方はできなかったのだな、
と同情とも失望ともつかぬ、微妙な気持になりました。
(三島の短篇小説の映画版 三島自身が演じる将校が介錯なしで割腹)
そして、気になったのは、小説読了後に目を通した、
巻末の「解説」です。
書き手は、西尾幹二さん。
これがどうもよくない。
解説対象をまともに見ずに書いています。
三島の割腹が常人のなし得ない精神力をもってなされていること、
森田の介錯の失敗は、三島が立派に割腹したことに原因があり、
森田の浅い傷は彼の臆病の証拠ではなく、彼が介錯者のためを
考えていた沈着の証拠である、等々の緻密な分析は、この本の
著者でなければ言えない十分に論証的な指摘であるといえる。
(445頁)
森田に関してはその通りです。
著者は、「驚くべきは森田の精神力である」と書いています。
三島が作法に反して深く切りすぎ、介錯困難な体勢になってしまったために、
森田は三島の首目がけて一太刀どころか、三太刀か四太刀しなければなりませんでした。
それにもかかわらず森田は、その直後に、三島とは異なり、作法通りに腹の皮を薄く切り、
仲間に一太刀で自分の首を切らせることに成功しています。
一方、三島についてはどうか。
西尾さんの発言は、婉曲に言えば思い込み、率直に言えば虚偽です。
三島の割腹が立派であったという意味のことを著者は書いていないのですから。
西尾さんは、自分の考えを著者の考えのように言っているだけです。
これは解説者としてやってはいけないことだと思います。
(一人で死ぬ場合の切り方が登場する三島の小説)
著者は、三島の腹の切り方は「一人で死ぬ場合の切り方」だった、
あの場合は、「他人による介錯、すなわち<斬首>ということを
予定した切り方をすべきではなかったか」とまで言っています。
一方で、「これはなにも三島の切腹を貶めようとするものではない」
とも言っていますが、私には、かなり批判的なニュアンスを感じます。
少なくとも、「三島が立派に割腹した」とすることからはほど遠く、
森田の割腹の仕方について称賛とも言えるような書き方をしていることと対照的です。
なお、著者は、介錯に使われた三島自慢の名刀「関孫六兼元」について、
「偽物」と断言する専門家がいることまで付け加えています。
介錯によってその刀はS字型に曲がったが、本物ならそんなにことにはならない、
ということのようです。
著者は明言はしませんが、三島の割腹の仕方については、
感心できない、というのが本心であろうと私は推測します。
そもそも、その本心が透けて見えることを承知していたからこその
「貶めようとするものではない」でしょう。
著者は、この小説を書くにあたり、切腹や斬首についてさんざん調べたはずです。
その目は、割腹の仕方や斬首の仕方に対して厳しいものになっていたと思われます。
西尾さんの方は、著者とは異なり、三島事件の「政治的・社会的・思想的あるいは
文学的背景ならびに意味」の類に「関与」せずにいることができなかったために、
「三島が立派に割腹した」という文言を紛れ込ませずにはいられなかったのでしょう。
その気持、分からないではないですが、だめでしょ、それは。
鷗外の「堺事件」でしたか、大勢の切腹の様子が描かれていますね。
臆病な私にはとうてい切腹も介錯もできそうもありません。
臆病な私にはとうてい切腹も介錯もできそうもありません。
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saheizi-inokoriさん、コメントをありがとうございます。
「堺事件」は凄い話ですよね。昔々はじめて読んだ時の衝撃を思い出しました。
エグい話ではありますが、久しぶりに再読したくなりました。
「堺事件」は凄い話ですよね。昔々はじめて読んだ時の衝撃を思い出しました。
エグい話ではありますが、久しぶりに再読したくなりました。
大佛「天皇の世紀」にもこの事件が取り上げられていました。鷗外を引きつつ別の史料にも触れていました。
saheizi-inokoriさん、情報をありがとうございます。
『天皇の世紀』は書名しか知らず、読んだことがありません。
ネットで調べたところ、第7巻に堺事件のことが書かれているとのこと。
読んでみたくなり、さっそく図書館に予約しました。
『天皇の世紀』は書名しか知らず、読んだことがありません。
ネットで調べたところ、第7巻に堺事件のことが書かれているとのこと。
読んでみたくなり、さっそく図書館に予約しました。
by chronoir2023
| 2023-08-28 19:30
| 読書
|
Comments(4)




