神の不在
2023年 08月 10日

例えば、図らずも、路傍の可憐な花や清々しい青空を目にしたとき、
困っている私を通りがかりの人が助けてくれたとき、
素晴らしい音楽を素晴らしい演奏できくことができたとき、
この世に生まれ、こうして生きていることが奇跡のように思われ、
感謝の念がわいてきます。
自分には信じる神がいないこと、
そのことが残念に感じられてきます。
なぜなら、私にはこの幸運を感謝する対象がないからです。
例えば音楽ならば、その曲を作った人、それを演奏している人、
あるいは、それがCDなら、そのCDを制作した人たちに
心の中で感謝すればいいという考えもあるでしょう。
また、人の営為によるものでない事象については、
お前を生んでくれた親に感謝すればいいではないか、
と言う人がいるかも知れません。
確かに一理あります。
人にも親にも感謝はします。
ときには先祖にも感謝します。
でも、それとは違うのです。
私が感謝したいのは、
この世界、このくそ忌々しい世界に、
そういう素晴らしいものやことがあり、
それらに自分が出会ったこと、
その全て、それをひとまとめにして、ある一つの何かに感謝したいのです。
救ってくれる神ではなく、
感謝の対象となる神がほしいのです。
でも、感謝したいときだけ存在する神、
そんな都合のいい神はいないでしょう。
そんなことを考えているうちに、
感謝の念も、痛切に感じられた神の不在も、
私の頭の中から消えてしまいます。
また、いつかそういう機会が訪れるまで。
ますます、そんな都合のいい神はいないでしょう。


