『罪と罰』相反する不満

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もう半世紀も昔の10代の頃、ドストエフスキーの小説にはまりました。
『白痴』の最後の方はもうやめられなくなり、徹夜して最後まで読み、
中学校をずる休みしたことがありました。

成人してからも、ときたま読み直しますが、
『罪と罰』について最初に読んだときから不満に思っていることがあります。

それは、ドストエフスキーがラスコーリニコフにリザヴェータまで殺させたことです。
金貸しの婆さんとは異なり、リザヴェータは善良な人物です。
その人まで殺してしまうことで、
ラスコーリニコフの殺人の意味合いが変わってしまったと思うのです。

もともとのターゲットであった金貸し婆さん一人を殺しただけだったら、
どうだったのでしょうか。

ドストエフスキーは問題をぼやかしてしまったと思います。
残念、と言いたくなります。

ところで、つい最近、福田恆存の本を読んでいたら、こうありました。

 〔前略〕ラスコリニコフはなぜ人を殺してはいけないのか
 という問題にぶつかるわけです。ただラスコリニコフがそ
 のときひとつ弱かったのは、金貸しの老婆を殺してしまっ
 たことです。つまり、彼はせっかく自分につきつけた疑問
 を、世の中のために何の役にも立っていない、それどころ
 かむしろ害をなしているような人間をなぜ殺してはいけな
 いかという問題にすりかえてしまったのです。〔中略〕俺
 はナポレオンなのか蚤なのかという実験を自分に課したわ
 けです。そして実験の材料として金貸しの老婆をえらんだ。
 本当ならばラスコリニコフとしては、金貸しの老婆でなく
 て、もっと善良な人を探して来なくてはいけなかったわけ
 です。
  (『人間の生き方、ものの考え方』福田恆存、文春学藝ライブラリ、2019年、
  p.127~129)

前述のように、ラスコーリニコフは、意図に反して、
明らかに「もっと善良な人」であるリザヴェータも殺してしまいます。
そのことが無視されていることに疑問を感じはするのですが、
それはさておき、前述の私の不満とは真逆ともいえる不満が示されていて、
そういう見方もあるのかと、驚かされました。

それにしても、なかなかこういうこと、こういう酷薄なことは考えないし、
考えても言いません。
怖いものなしの人、福田恆存の面目躍如です。



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by chronoir2023 | 2023-06-30 21:00 | 読書 | Comments(0)

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