「DNA」を好むのはなぜ?
2023年 06月 22日

「歴代モデルのDNAを引き継いだ新車」
「ジャーナリスト精神のDNAを継承する」
こんなふうな使われ方をしている「DNA」を見聞きすると、
一瞬厭世的な気分に襲われます。気持悪いのです。
「私は父のDNAを受け継いでいる」
この言い方ならいいのです。
父が実父であれば、内容として正しく、文句は言えません。
好きではありませんし、自分自身はこういう言い方はしませんが、
最初の二例に比べれば、はるかにましです。
つまり、最初の二例のように比喩的に使われるととても気持が悪いのです。
『デジタル大辞泉』で「DNA」の項を見ますと、こうあります。
1 ⇒デオキシリボ核酸
2 俗に、遺伝子のこと。また、先祖から子孫へ連綿と伝わるもの。
「父のDNAを受け継ぐ」「歴代モデルのDNAを引き継いだ新車」
「ジャーナリスト精神のDNAを継承する」
上に引いた例文は全てこの「2」からのものです。
私が嫌でも何でも、二つ目、三つ目のような言い方が一般化していて、
すでに辞書で正しい言い方として認められていることになります。
残念です。
なぜ気持悪いのか考えてみます。
「DNA」は「俗に、遺伝子のこと」とありますから、上記の例文は、
次のように言い換え可能と考えられます。
「歴代モデルの遺伝子を引き継いだ新車」
「ジャーナリスト精神の遺伝子を継承する」
もとの例文と比べてどうでしょうか。
私はこれも気持悪いですが、厭世的になるほどではありません。
しかし、それにしも、そもそも、
出自や個人の遺伝形質についての言及に抑制が働く傾向があるこの時代に、
なぜ遺伝子、なぜDNAなのでしょうか?
いや、だからこそ、遺伝子ではなく、DNAなのでしょう。
カタカナ語やアルファベットによる略語の効能のなかには、
意味をぼやけさせるというのがあります。
DNAは自然科学の用語ですから、それに加えて、
科学的に見せかけるという効能があります。
上記の文脈では科学的であるはずはないので、
あくまで見せかけるのであって、はったり、つまりは、
自分を賢く見せようとしていることになります。
かなりかっこ悪い。そして、気持悪い。
なお、『デジタル大辞泉』の説明には、首を傾げます。
言うまでもないことですが、「歴代モデル」は血縁とは無縁ですし、
そもそも生物ではないので、「モデル」間に遺伝的な関係はありません。
特定の文脈でない限り、「ジャーナリスト精神」も同様です。
つまり、これらでは、「DNA」が暗喩として使われていることになります。
「俗に、遺伝子のこと。また、先祖から子孫へ連綿と伝わるもの。」のあとに、
そのことについて何の説明もすることをせず、
「歴代モデル」「ジャーナリスト精神」を使った例文を示しているわけですが、
私にはかなりの違和感があります。
