映画『砂の器』――「善人」の恐ろしさ

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映画『砂の器』では、「善人」の恐ろしさが見事に描かれています。

制作者が意図したことかどうかはともかく、私にはそう思われます。


緒形拳が演じる元警察官は、自分の善を加藤剛が演じる音楽家に押しつけます。

筋金入りの善人である元警察官は、

自分が善と思うことが100%善であることを少しも疑わないのです。

だから、妥協はあり得ない。音楽家の事情には配慮しません。

タイミングがあまりにも悪かったのですが、そんなことに彼は関心がないのです。


父親は息子に会いたかったでしょう。

しかし、会うことが息子の音楽家としての栄光の邪魔になりうると分かれば、

息子の存命と活躍を知るだけでよしとしたのではないでしょうか。

息子もまた父親に会いたかったかもしれません。

丹波哲郎演じる刑事は会いたかったと考えています。

しかし、会いたかったにしても、息子にとって最優先事はそれではないのです、

少なくともその時点では。

そのことを責められるでしょうか。

責められないと私は思います。


元警察官は自分がそうしたいからそうするなどとは考えていなかったでしょう。

そうすべきだから、それが善だからそうすると考えていたでしょう。

自分の善意を疑うことがないがゆえに、それゆえに、

何が何でも音楽家を父親に会わせようとするのです。


元警官の押しつけをかわすのに殺す以外のどんな手があったでしょうか。

殺人は明らかに不善です。

しかし、善の押しつけもまた不善ではないでしょうか。

戸籍偽造程度の罪しか犯していなかった音楽家は、

元警察官の一方的な善意のせいで殺人犯になってしまいました。


元警察官がしたことは不善の極みではないか、

私はそう言いたくなります。

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by chronoir2023 | 2023-05-13 14:10 | 映画 | Comments(0)

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